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練習会後の懇親会

懇親会での話


※お酒の場での話。

 色々と話が飛ぶのをまとめている(?)ので、

 ご了承ください。


練習会を終え、懇親会と称し居酒屋へ。


まずはいっぱい頼んで乾杯。


今回の練習会の話もそうですが、

高橋館長の話や拳法館の話、

楢崎館長の超人的な話など、

毎回それぞれの想いや考えや武術談義になります。


まずは今日の話を始めて、

お酒が進むにつれて色々な話に・・・


練習会で組手練習を行い、

拳法館の基礎技術を稽古しましたが、

あの練習方法は高橋館長が始めたという話に


で、拳法館のそれぞれの館長と時代の話


初代楢崎館長の頃(師範が入門した頃)は、

昭和の半ば。


稽古というには、厳しいというか、

そんな時代だったとしか言えない。


楢崎館長の頃も、現代(令和)的な指導ではなく

実践的な稽古で学ぶような感じなのだろう


↑聞いた話を上手く文面にするのは難しい。

↑時代背景で当時は当たり前が、

 今は問題になるような話ばかりで書き辛い!

↑なるべく語弊の無いように書くようにしていますが・・・

↑後で、時代の違いの話もしたい。

↑お酒の席での話で、うろ覚えかもしれない

 内容なので断定的な書き方はしません!!



今の時代ではアウト!な内容ばかり!!

実際のその場では、

殺伐とした雰囲気でもあったのか??

などと色々と想像しますがーーー!


↑想像以上に荒い稽古内容に怪我するのは当たり前

(だけど怪我のレベルは更に上)


今は、空手にしろ、柔道にしろ、

指導の仕方や方法などは形式化されていますが、

この時代はまだまだ少なかったのだろうと思います。


仕事なども指導(教育)は、昔は実戦的だったのかと・・・

料理人なども仕事は見て盗んで覚えろ!!が

普通の時代ですよね。


しかし、師範が入門して数年で

楢崎館長は亡くなられてしまう。


で、その後の拳法館に色々とあって、

三代目山本館長になる。


↑山本館長は10年間、拳法館の館長を務めます。


山本館長に変わり、練習方法の形も作られたと思いますが、

組手稽古の指導はまだまだ実戦的

(という話だったはず)


↑酒の席での話を自分の中でまとめて

 文面にしているので、

 話の流れはこの通りではありません!


で、山本館長が四代目を高橋館長に指名して代が変わる。


そして拳法館の稽古体系がまた変わる。


今まで実戦的の稽古方法だったところを

形式化したのだと思います。


その指導方法の話で大分話は盛り上がる。


楢崎館長や山本館長は初めから実践的な組手

(だと思う。聞いた話で想像)


高橋館長は、突きがきたらこうしてこうしてこうする。


つまり、1・2・3と動作を分解して

教える形式を作った。


そして稽古方法の話に



ここから自分の見解!

【見解】========================

実際の場面で使える様になるかどうかというと

実戦的な稽古の方が早く習得できるとは思う。

が!それなりに代償がある。

怪我は当たり前で、できる者だけが技を身に付ける。

非常に大変な道のりで、習得することが困難な道。


では、高橋館長の指導は?

この方法は入門・初心者が学び易い方法だと思う。

但し、実戦的に使えるレベルまでには時間がかかる


↑上達する人には、まだるっこしいと感じる


この実戦的な稽古と形式的な稽古の違いは、

的地まで行く道の進み方が違うだけだと考える


例えば、下記の様に考えてみる


技の習得(実戦的に使うことが可能なレベル)を

山の頂上だとする。


実戦的稽古は、

そこに行く最短距離である険しい崖を登ることで

可能になる。

ただし、非常に困難で登頂できる者は一握りだけ。

五体満足な者は更に僅かになるという感じ。


では形式的稽古は?

頂上まで辿り着くには非常に長い道のり。

しかし、怪我をすることが少なく

頂を目指す気持ちが続く限り、道を進むことができる。

ただ、技を実戦的に使える様になるには時間が必要。

また、道を間違えて辿り着けない者もいる。


二つの稽古方法のどちらが正解ということは無い。


これに該当しない天才・達人は??


ちなみに達人や天才と呼ばれるような人達は、

この道を進んでいないのかも。

もうヘリコプターとかで

一気に頂上に行ってしまうようなものなのかも。


それでも目指している場所は同じなのだから。


時代や環境、様々な条件下で変わってくる


もし今が戦国時代なのであれば、

形式的な稽古などしているヒマは無い。

生きるか死ぬかの中で稽古する時間は限られているから、

実戦的に身に付ける速さが必要となれば、

稽古も実戦的な内容となる。


形式的な稽古などをできるのは今の時代だからこそ。

時代と共に変化してゆく。


中国武術は北と南でよく分けられる。

南拳と北拳


争いが多く、すぐに鍛えて戦わないといけない状況

で生まれたのが南拳(総称)

いわゆる外功と呼ばれる鍛錬で身体の外側を鍛える。

拳を鍛えることも外功ですよね。


なので南拳は、空手(唐手)の原形だと思っています。

日本(琉球)に渡り、独自の進化して

今の形になったと考えます。


逆に北拳は内功と呼ばれる体の内面から鍛えるもの

すぐに身に付けられず、時間をかけて鍛える必要がある


まさに時代で稽古方法が変わるのと同じで武術も同じ。

簡単に鍛えて使える(外功の)武術が多いのは、

の理由だとも言える。


↑外功の武術であっても、内功の鍛錬はあるだろうし、

内功の武術であっても、外功の鍛錬はあるはず。

↑細かいことを話したらキリがないですが、

説明不足というか書ききれない事はご理解下さい!


令和の時代は平和ではあるので、

急いで強さを求めるのでは無く、

時間を掛けて内外を鍛える事が大事な様に思えます。


【見解終了】======================


で、話をもとに戻して、高橋館長の稽古方法の話


高橋館長は特異な天才・達人だったのではと思います。

そして高橋館長の指導方法は、

やっと時代が追いついてきたのだと言える。


武術やスポーツを通して、

身体操作を教えることができた人でした


その奥深い身体操作方法をわかりやすい形にして

伝えようとしていた。


天才は、感覚でできてしまうから

指導者に向かない事は多かった。

自分がよく例えに出すのは『長嶋茂雄』


野球の巨人で監督している時に、

バッティング指導で

『来た球をキュッと打てばいいんだよ』と言ったらしい


天才の説明だよね。


わかる人にはわかるけど、

普通の人には「???」な指導。


それをキチンと身体操作の方法を説明し

指導できた人が高橋館長だと思います。

だから組手稽古も形式化して細かい指導を

してくれたと感じます。


一瞬で行う技の動作を分解して説明し、

練度が上がればその一瞬の動作を

行う様にしてゆく稽古だったと思います。


達人の身体操作を

少しでも伝えてくれていたのだと思っています。

まぁ、あくまでも自分の見解というか

イメージというか感覚ですが。


形式的な稽古の中でも近道は

色々とあるとも思っていますがーーー


形式的な稽古のみではレベルが上がらないので、

徐々にレベルを上げる必要はあるし、

稽古する者が常に前に進む心構え

というか意識(意図)をもって稽古しないと

上達は難しくなる



そんなことを考えつつ、この話をしていました。



他にも色々と話をしつつ、次回の話もして終わりましたー








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